LINEの誕生日設定がうざいと思われる理由

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昼休みの給湯室で、同僚がスマホを見ながら小さく舌打ちした。
どうしたの、と聞いたら画面を向けてくる。
LINEのホーム画面に、誕生日を知らせるバナーがずらっと並んでいた。今日が誕生日の人、三人。
このうち二人、去年一度も連絡取ってないんだけど。
彼女はマグカップを乱暴に置いて、ため息をついた。ステンレスの流し台に音が響いて、私は思わず肩をすくめた。
あー、この気持ち、わかってしまう
祝ってほしい側の善意と、祝わされる側の負担。この二つが、あの小さなバナーの上でぶつかっている。

目次

うざいと感じる人の頭の中で、何が起きているか

通知が、義務に変換される瞬間

誕生日を知らせるバナーが出た時点で、見た側には選択が生まれる。
送るか、送らないか。
何も知らなければ、そもそも悩まずに済んだ。知らせがあるせいで、判断が発生する。
しかも送らなかった場合、こちらの中に小さな引っかかりが残る。無視した形になったな、と。
この後ろめたさを押しつけられる感じが、うざいの正体だと思う。祝う気持ちがないわけじゃない。ただ、選ばされることが面倒。

関係の薄さが、可視化されてしまう

仲のいい友達なら、通知がなくても覚えている。手帳にも入っている。
バナーで初めて知る相手は、つまりそういう距離の人。
そこに気づいた瞬間、微妙な気まずさが生まれる。祝うほど親しくないのに、通知だけが親しさを要求してくる。
このねじれが、じわっと不快感を作る。相手が悪いわけじゃない。設定されているだけ。それでも、ざらつく。

一斉に届くお祝いへの、白けた気持ち

逆側から見るとこうなる。
誕生日当日、大量のおめでとうが届く。ほとんどが通知を見て打った定型文。
おめでとう、のスタンプが二十個並んだ画面を見て、嬉しいと思えるかどうか。
私の知人は、これが嫌で設定を切った。全部が同じ顔をしているのが虚しくなったらしい。
祝われる量が増えるほど、一通の価値が薄まる。皮肉な仕組みね。

それでも設定している人の、実際の理由

誰かに気づいてほしい気持ち

これが一番多い。
自分から誕生日だと言うのは恥ずかしい。でも、誰にも触れられずに一日が終わるのは寂しい。
その間を埋めてくれるのが、あの設定。自分では何も言っていないのに、勝手に知らせてくれる。
私も二十代の頃はオンにしていた。当日の朝、通知が来るたびに画面を確認していた自分を思い出すと、今でも耳の後ろが熱くなる。
承認を求める気持ちを、機能に代行させていた。あれは正直、ちょっと恥ずかしい。

忘れられるのが怖い

社会人になると、誕生日を覚えている人が急に減る。学生の頃とは違って、周りが自分の生活で手一杯だから。
一人暮らしで、当日に誰からも連絡が来ない。この経験をすると、設定をオンにしたくなる気持ちがわかる。
祝われたいというより、存在を確認したい。あの機能は、そういう不安を静かに支えている面がある。
うざいと切り捨てる前に、ここを想像できると、少しだけ見方が変わる。

単純に、何も考えていない

これも一定数いる。
初期設定でオンになっていて、そのまま。自分が通知を出していることすら知らない人。
実際、私の友人がそうだった。え、私の誕生日って表示されてるの、と本気で驚いていた。設定画面を開いて、公開範囲がすべてになっていることに初めて気づいて、慌ててオフにしていた。
悪意どころか、意識すらない。うざいと感じている相手が、何も企んでいない可能性は普通にある。

どう対応するのが正解なのか

送らない選択に、罪悪感はいらない

まず前提を崩しておく。
通知が来たからといって、送る義務は発生しない。
連絡を取っていない相手におめでとうを送っても、そこから関係が動くことはほぼない。むしろ、急にどうしたの、という空気を作ることがある。
祝いたいと思った時だけ送る。この基準で十分。バナーは情報であって、命令じゃない。

送るなら、定型文から一歩ずらす

送ると決めたなら、テンプレートは避けたほうがいい。
おめでとう、だけの一通は、二十件の中に埋もれる。
効くのは、その人固有の何かを混ぜること。去年の誕生日に何をしていたか触れるとか、最近の話を一行入れるとか。
知人がもらって嬉しかったと言っていたのは、こんな文面だった。
おめでとう。前に言ってたあの店、まだ行けてないなら今年こそ行こう。
祝いと、次の約束が一緒になっている。埋もれない一通は、たいてい未来の話が入っている。

自分の設定を見直すタイミング

うざいと感じたなら、自分の側も確認してみるといい。
LINEの誕生日設定は、公開する相手を選べる。全員に見せる必要はどこにもない。
私は数年前にオフにした。理由は単純で、義理のお祝いをもらうのが申し訳なくなったから。
オフにした最初の年、当日に連絡をくれたのは四人だった。以前の三分の一。それでも、その四人は自力で覚えていてくれた人たち。
数が減って、中身が濃くなった。あの年の誕生日は、静かだったけど悪くなかった。

恋愛が絡むと、この機能はさらに厄介になる

好きな人の誕生日を、通知で知る気まずさ

これ、地味に困る場面。
気になっている相手の誕生日が、バナーで表示される。祝いたい。でも、通知で知ったことがバレるのが恥ずかしい。
本人から聞いた設定にしたいのに、その嘘も気が引ける。
私が使っていた手はこう。当日に送らず、翌日か数日後に、そういえば誕生日だったよね、と自然に触れる。
時間をずらすと、通知経由だという印象が薄れる。しかも二十件のお祝いが落ち着いた頃だから、ちゃんと読んでもらえる。

祝ってもらえなかった時の、静かな傷

設定をオンにしている人には、こういう側面がある。
好きな人には表示されているはず。なのに、何も来ない。
この状態が、思っている以上にこたえる。知らなかったなら仕方ないと思えるのに、知っていて送らなかったという解釈が生まれてしまう。
実際は、通知を見落としただけかもしれない。それでも、当日の夜に通知欄を何度も確認する時間は、けっこう長く感じる。
期待を機能に預けると、こういう痛みが返ってくることがある。

友人が体験した、逆転劇

面白い話をひとつ。
友人が、片思いの相手から誕生日にまったく連絡をもらえなかった。設定はオンにしていたから、表示はされていたはず。
落ち込んで、その日は早く寝たらしい。
一週間後、その相手から連絡が来た。誕生日、通知で知ったんだけど、その日に送るのは他の人と一緒になると思って。
封筒に入った小さなプレゼントを渡されて、彼女はその場で泣きそうになったと言っていた。
待たされた一週間は苦しかった。でも、あの一週間があったから記憶に残った。ずらす戦略、本当に効くのね。

あの機能との、ちょうどいい距離

通知は情報、行動は自分で選ぶ

バナーが出たからといって、感情まで動かす必要はない。
祝いたい人には送る。そうでない人には送らない。この線引きを自分の中で持っていれば、うざいという感覚はかなり薄まる。
面倒に感じるのは、機能に判断を委ねているから。判断を自分の手に戻すと、通知はただの表示になる。

給湯室の彼女は、結局どうしたか

舌打ちしていた同僚。
三人のうち、一人にだけ送っていた。去年一緒に仕事をして、助けてもらった相手。
残り二人はスルー。罪悪感は、と聞いたら、ないよ、と即答された。
祝う気持ちがある人にだけ送る。当たり前のようで、実行できる人は少ない。彼女のあの割り切り方は、なんだか格好よかった。

自分の誕生日設定を、今日オフにするかオンにするか。
どちらでもいい。ただ、その選択の理由くらいは、自分で言えるようにしておきたい。

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