右手の親指の付け根が、じんじんと痛む。
整体の先生は、私の手首を押さえて、少し笑った。
これ、スマホの持ちすぎですね。何か、待ってるものでもあるんですか。
(待ってるもの、ありすぎる…)
三週間前から、彼の返事を待って、一日に何十回もトークを開いては閉じていた。
彼より先に、私の親指が音を上げた。
脈がないのか、忙しいだけなのか、いつ諦めればいいのか。
その答えを、彼から届く文字の中にばかり探していた。
諦めどきを先に教えてくれたのは、彼のLINEより、私の体のほう。
LINEの返信がないのは脈なしか、ただの返信下手か
返事が来ない理由は、気持ちがないから、だけとは限らない。
LINEそのものが苦手な人も、世の中にはちゃんといる。
LINEの外での態度と、並べて見る
LINEはそっけないのに、会えば向こうから寄ってくる人。
画面の中でも外でも、どこか目が合わない人。
LINEの速さは同じくらいでも、この二人の中身はまるで違う。
脈を読むなら、会ったときの様子も、いっしょに見ておきたい。
集まりの帰りに、同じ方向の電車へ、さりげなく乗ってくる。
次はどこ行く、の話が、向こうの口から出る。
それなら、返信の遅さは、ただの性格。
LINEでも会っても距離が縮まらないとき、そこで初めて脈なしを疑う。
やっかいなのは、会えば感じよく話すのに、LINEでは何も始まらない人。
望みをつなぐ材料が半分だけ残るぶん、いちばん手を放しにくい。
返信下手な人は、会ったときに自分から謝ってくる
返信が苦手な人は、意外と多い。
大学のころに付き合っていた人も、そのひとりだった。
三日返事がないのは、当たり前。
一週間あいたことも、一度や二度ではない。
そのかわり、やっと届いた返事は、こちらの質問に全部答えてある。
おまけの写真つきで。
会えば必ず、彼のほうから先に謝ってきた。
ごめん、またLINE返してなかった!
頭の中では、もう返事した気になってたんだよね(笑)
決まり悪そうに笑うその顔を見ると、待っていた三日が、どうでもよくなる。
その人とは、それから二年続いた。
返せなかったことを気にする人は、関係まで手放したいわけではない。
会っても何も触れないなら、返さないことに、相手は少しも困っていない。
返信下手と脈なしの分かれ目は、待たせた自覚が、本人にあるかどうか。
返事の代わりに、リアクションだけがつく
LINEでは、メッセージを長押しすると、絵文字のリアクションをつけられる。
週末は何してました、と聞いた私の吹き出し。
その端に、小さな顔がひとつ。
返事は、それきり。
読んだよ、の印にはなっても、言葉はひとつも届いていない。
(押す時間はあるのに、打つ時間はないの!?)
指一本の返事は、話を閉じたいときにも使われる。
感想だけの一通に絵文字が返ってくるのは、自然な流れ。
引っかかるのは、質問を送ったのに、それで終わったとき。
答える気があるなら、短くても文字で返せたはず。
落ち着いたら返そう、の目印に押す人も、いるにはいる。
その、落ち着いたら、がやって来るかどうかは、数日もすれば見えてくる。
押すだけで済ませた、その手軽さが、今の距離。
返していない側は、返していないことを覚えていない
整体の先生に、施術の途中で聞いてみた。
男の人って、気になる子のLINEでも、放っておくことあります?
先生は、私の肩甲骨のあたりを押しながら、首をかしげた。
放っておくっていうより、返してないこと自体、忘れてますね。
待ってる側だけが、日にちを数えてるんですよ。
気になる子のだったら、夜中に思い出して、布団から手を伸ばしますけど。
(こっちは、送った時間まで覚えてるのに…)
私の三週間に、彼の手が伸びてきた夜は、一度もない。
正直言って、先生の言葉は、肩より先に胸に効いた。
返していない自覚すらないなら、彼の毎日の中で、私はずいぶん後ろのほう。
諦めるタイミングは、相手の脈より、自分の消耗で決める
相手の気持ちは、どこまでいっても推測にしかならない。
確かめられるのは、自分がどれだけ削られているか、のほう。
消耗なら、自分の毎日を見れば数えられる。
何日で脈なし、の数字は、待つ側の我慢の目盛り
返事が来ない夜は、何日で脈なしなのか、検索ばかりしていた。
三日、一週間、一か月。
書いてある数字は、記事ごとに違っていた。
どれも当たっている気がするし、外れている気もする。
自分でも、期限を決めてみた。
あと二日待って、来なかったら終わりにする。
二日が過ぎると、四日まで延ばした。
四日が過ぎると、次の週末まで。
期限を動かすたびに、指先だけが、勝手にLINEへ伸びていく。
あとになって気づいたのは、あの日数が、相手の心を測るものではないこと。
待つ側が、何日までなら持ちこたえられるか。
その目盛りは、自分の中にしかない。
トークを開く回数が、一日の予定より多くなったら
親指を痛めたころの私は、会議に出るより、LINEを開くほうが忙しかった。
信号待ちで一回、エレベーターで一回、寝る前には何回も。
保存袋に入れて、湯船にまで持ち込んだ夜もある。
返事を待つことが、一日の真ん中に居座っている。
彼の一通のあるなしで、その日の機嫌まで上がったり下がったり。
そうなったら、恋の楽しさより、消耗が勝っている。
整体帰りの電車で、湿布を貼った親指を眺めて、ひとりで苦笑いした(泣)
送る前の二行を、何度も書き直すようになったら
返事をくれない相手への一通ほど、書き直しが増えていく。
重くないか、しつこくないか、前と同じ話になっていないか。
私は、たった二行のLINEに、二十分かけていた。
駅前のたい焼き屋さん、冬限定の味が出てました。
あんこ派ですか、クリーム派ですか?
出てました、を、出てましたよ、に変えて、また戻す。
派ですか、のあとに笑を足しては、消す。
最後に送ったのは、一番はじめに打った文面そのまま。
それだけ悩んだ一通にも、返事は来ない。
はぁ…、気づけばまた、次の下書きを考えている。
消した文字の数は、届かなかった気持ちの数。
友達に話す内容が、毎週同じになったら
金曜の夜、友達とごはんを食べながら、三週続けて同じ話をしていた。
今日もLINE来なかった、から始まる、いつもの話。
友達は、毎回うなずきながら聞いてくれた。
三回目の金曜の帰り道、駅の手前で、彼女が足を止めた。
それ、そろそろ自分で終わらせてあげなよ。
喉まで出かかった言い返しは、ひとつも声に出せなかった。
あの三週間、私は友達に、待っていてもいいという許しをもらいに行っていた。
同じ話をくり返しているうちは、心のどこかで、もう答えを知っている。
正の字で数えた、話しかけた回数の差
決め手になったのは、部屋の机に置いた卓上カレンダー。
その隅に、どちらが口火を切ったかを、一回ずつ線で書いていた。
数えるのは、新しい話題を始めたときだけ。
返事の往復は、数に入れない。
線を引くのは、寝る前の一回きり。
最初の一週間は、線を引くたびに、まだ平気、と心の中でつぶやいていた。
三週間で、私の欄には、正の字が二つと、線が四本。
彼の欄には、線が二本だけ。
十四対二。
並んだ線を見た瞬間、頭の中で、小さなスイッチがぱちんと入った。
我ながら、ちょっと執念深い。
数字は、言い訳を受けつけない。
ここまで片寄った差は、待っているだけでは縮まらない。
一回だけ確かめて、それで終わりにしよう。
脈なしと決める前に、会って一度だけ聞いてみる
線の差がここまで開いても、彼の口から聞いていないことがあった。
LINEの話を、冗談めかして出してみる
スマホ越しだと重くなる質問も、向かい合っていれば軽く聞ける。
周りに人がいる場なら、相手も身構えずに済む。
LINEって、あんまり見ない派ですか?
笑いながらこう聞くだけで、答え方に本音がにじむ。
見ない派なんだよね、ごめん、と返ってくるなら、まだ続きはある。
そっちはどうなの、と聞き返してきたら、なおさら。
へえ、で流されたり、別の人へ顔を向けられたりしたら、それもひとつの返事。
私が聞いたのは、共通の友達の集まりで、彼と隣の席になったとき。
返ってきたのは、そうでもないけど、という短い答えと、乾いた笑い。
(まさか、それだけ…?)
彼はすぐに、反対側の友達との話に戻っていった。
その夜、家に向かう坂道で、肩がしゅんと下がっていくのがわかった。
なんで返してくれないの、とは聞かない
あの夜、本当は、どうして何も返してこないのか、聞きたかった。
君がどうこうじゃない、のひと言が、何より欲しかった。
口にしなかったのは、整体の先生のもうひとつの話を思い出したから。
男がそれ聞かれたら、ほぼ全員、忙しくて、って言いますよ。
本当の理由なんて、面と向かっては言えないですもん。
で、聞かれたことで、ちょっと面倒になっちゃう。
問い詰めて出てくるのは、たいてい、忙しかった、の一点張り。
それを聞いたら、こちらはまた、忙しさが終わる日を待ちはじめる。
軽く聞いて、言葉の中身より、そのときの顔を見る。
目をそらしたか、笑ったか、すぐ別の話に移ったか。
顔に出る答えは、口から出る答えより正直。
確かめたあとも何も変わらなければ、そこが諦めどき
聞いたあとも、返事の速さも長さも、何ひとつ変わらない。
だとしたら相手は、この関係を今の距離のまま置いておきたい、ということ。
反対に、軽く聞かれただけで、急に返事がこまめになる人もいる。
その場合は、もうしばらく待つ理由ができる。
私の場合、あの集まりの翌週も、彼から始まった話はゼロ。
結局、正の字は、十四対二のまま動かなかった。
彼が本当に返信下手だったのか、私に興味がなかったのか。
どちらだったのかは、今もわからないまま。
諦めると決めたら、やめていいこと
見切りをつけるのは、一瞬。
気持ちが離れきるまでには、少し時間がかかる。
そのあいだに手放すと楽になる癖が、いくつかある。
昔のトークを、さかのぼって読むのをやめる
手を引くと決めた夜ほど、昔のやり取りを探しに行きたくなる。
二回目に会う前の、あの盛り上がった夜のトーク。
あの時の彼と今の彼を、何度も見比べていた。
過去の吹き出しは、今の彼を連れてきてはくれない。
親指が上へ上へと動きだしたら、アプリを閉じて、明日の服を選びはじめる。
相手の言い訳を、自分で考えてあげるのをやめる
仕事が忙しいだけ、照れているだけ、突然スマホが壊れたのかも。
返事のない三週間、私は彼の代わりに、言い訳を考え続けていた。
言い訳を足すたびに、頭の中の彼だけが、本物より優しくなっていった。
本人が一度も口にしていない理由を、こちらで用意しなくていい。
言い訳づくりをやめた日から、待っている時間も縮みはじめる。
話題を作るために、相手の趣味を調べ続けるのをやめる
彼が好きだと言っていたバンドを、毎晩イヤホンで流していた。
新曲が出たら、それを口実に話しかけられるから。
その新曲の話にも、彼からの反応はなかった。
聴きたくて聴いていたわけではない曲を止めたら、部屋がやけに静か。
口実を探す時間が減ったぶん、自分の好きな曲が戻ってきた。
誘いを待って、週末を空けたままにするのをやめる
いつ誘われてもいいように、土日の予定を入れずにおく。
片思いのあいだは、そんなことを、自分でもそうと知らずにやっている。
空けておいた土曜が、何も起きないまま、日曜の朝に変わる。
追うのをやめたら、その週末に、自分の用事を書き込む。
歯医者の予約、友達との約束、行きたかった展示。
埋まったカレンダーを見ると、待っていた自分が、少しだけ遠くなる。
諦めたあと、好きだった気持ちをどうするか
諦めたあとも、心のほうは、すぐには切り替わってくれない。
通知が鳴るたび、まだ指が止まる。
諦めることと、嫌いになることは別
待つのをやめても、相手を嫌いになる必要はない。
ろくに返事もくれなかった人なのに、思い出すのは笑った顔ばかり。
いっそ嫌いになれたら楽なのに、と何度も思った。
好きだったぶんは、胸の引き出しにしまっておけばいい。
思い出まで、いっしょに捨てることはない。
嫌いになろうと力むほど、相手のことを考える時間は、かえって増えていく。
相手を悪者にしないほうが、次へ早く行ける
あの人をひどい人だと決めつけて、楽になりたい日もある。
けれど相手は、こちらを好きにならなかっただけ。
誰かを悪者にした恋は、終わったあとも、怒りのぶんだけ長く残る。
次の集まりで顔を合わせたときも、私は普通に笑って話せた。
整体の先生いわく、体も心も、力を抜いたほうが早く戻る、らしい(笑)
新しい月のカレンダーに、新しい正の字
十四対二で止まったページは、月が変わった日に破って、古紙の束へ入れた。
新しいページの隅は、しばらく白いままだった。
それが先月から、また線を引きはじめている。
相手は、まったく別の人。
向こうから届く話題は、だいたい、どうでもいい質問。
昨日のは、朝ごはんに何を食べたか、だった。
今のところ、六対五。